すべてが無駄であることについて

【スポンサーリンク】

過去の産物

どうでも良い話です。

こないだ休日を使い、部屋の大掃除をした。


ゴミが大量に出るのは当たり前のことだけど、ものによっては処分しようとすると問題になるものがある。しょうじき邪魔だから捨ててしまいたい、というか部屋から取り除きたい、というものなのだが・・・
アルバムや卒業文集とか最たるものだと思う。なんで取っておくんだろう 僕のばあい、別にあとで見返して「あぁこんなことあったなぁ」なんて思うわけでもないから、捨てたほうが良いとおもってしまう。だから高校の卒業アルバムとか文集は既に捨ててしまった。

***


昔、入院していたときがあって、そのときにクラスの人たちから激励の意味を込めた寄せ書きを戴いたんだ。それが部屋掃除してて出てきて、見返してみたのだが、けっこう面白かった。だが、それもほんのひと時だ。当時入院していたときのぼくに込めた寄せ書きであって、現在のぼくに呼びかけたものではない。一興のあとは捨てるだけである。ただ、そういう昔書いた文集(自分のも含め)皆素直だなぁ、と感じてしまう。ほんとうにコレ俺が書いたのか?って感じであった。
そういえば寄せ書きの一つに面白いことが書いてあった。「ノストラダムスの大予言とプールが待ってるぞ」と。そう、当時大予言で地球が滅びる、と騒がれてたときだったからもう20年近く前の話だ。その寄せ書きをくれた友人だが、成人式であったとき結構変わっていた。機会があれば酒を酌み交わしながら音楽談議をしたい

 

***



まぁ、たまに大掃除をすることは必要ですね。部屋は自分の基礎的な部分ではないだろうか。と感じた今日この頃です。